コップ一杯のミルク
ハワード・ケリーは食べる物にも事欠く貧乏医学生で、雑誌の定期購読を売り込む訪問販売のアルバイトをしていました。昔はそんなふうにして雑誌を売っていたのです。
足を棒にして歩いても、なかなか売れませんでした。ある日のこと、空腹のあまり倒れそうになりました。でも、ポケットにはお金が数セントしかありません。やむにやまれず、ハワードは次の家で何か食べ物を分けてもらおうと決心しました。
ところが、玄関先に出てきたのは自分と同じ年頃の女性でした。彼は恥ずかしくなって、空腹でつらいとは言い出せず、のどが渇いたので水を飲ませてもらえませんか、と頼むのがやっとでした。
でも、若いセールスマンの様子を見た女性は、「おなかが空いてるんじゃないですか?」と気づかって、よく冷えた新鮮なミルクを飲ませてくれました。
ミルクを飲んで生き返ったハワードは、感謝の気持ちでいっぱいでした。お礼を言ったあとで、おそるおそる「いくらお支払いしたらいいでしょう……」とたずねました。
「何を言ってるんですか、そんな必要はありません。お金を受け取ったりしたら親に叱られます。いつも、人に親切をするときは見返りを求めたらいけないと言われていますから」
「ご親切に心から感謝します」と、もういちどお礼を言ってハワードはその家をあとにしました。ミルクで元気が出ただけでなく、世の中には親切な人がいることを知って勇気づけられました。
じつはそのとき、ハワードは医者になる勉強はあきらめて、何でもいいから仕事に就こうと思いかけていたのです。でも、親切にされたことで勇気がわき、がんばって勉強を続けようと決意を新たにしたのでした。
それから何年もの時間が経ちました――。
あの親切な女性が、突然重い病気になりました。かかりつけの医者が手を尽くしましたが、治すことはできませんでした。女性は救急車で大都市の病院に運ばれたのですが、なんとその病院の院長がハワード・ケリー医師だったのです。
ハワードはすぐに、あのときミルクを飲ませてくれた女性だと気づきました。ハワードは担当医を通じて彼女の病状を見守り、最大限の治療ができるよう配慮しました。
幸い、病気は完全に治りました。退院の日、ベッドサイドに病院からの請求書が届けられましたが、彼女は怖くて金額を見ることができませんでした。長期にわたって高度な治療を受けたのだから、かなりの高額に違いありません。残りの人生は治療費の支払いに追われることになるでしょう。
ようやく覚悟を決め、封筒から請求書を取り出すと、請求額は二重線で消され、その下にはこう書かれていました――「ミルク一杯で支払い済み。病院長ハワード・ケリー」