敵兵を助けた医師
第二次世界大戦中の1940年4月、ノルウェーを占領しようとするドイツの軍艦が、フィヨルド地帯から攻め込んできました。その軍艦には4000人の兵士が乗っていました。
ところがそのドイツ艦は、第一次世界大戦のときから海に残置されていた魚雷に触れて爆発、炎に包まれて沈没してしまいました。多くのドイツ兵が岸まで泳ぎ着きましたが、熱い煙を吸い込んで鼻孔と気管支に重い火傷を負いました。
耳鼻咽喉科の医師であったヨハン・ガルトゥングの父親は、自分の国を侵略しようとした敵兵の命を救うために、昼夜を分かたず懸命に治療に当たりました。
ヨハンはそのとき10歳でしたが、のちに父親に、「わざとメスの使い方を間違えて、ドイツ兵をやっつけようと思ったことはなかったの?」とたずねました。
「そんなことはこれっぽっちも思わなかったよ。医者の最大の使命は、どんな人も分けへだてなく助けることだからね」というのが父の答えでした。
その答えに強く感銘を受けたヨハンは、やがて「平和学」という学問の分野を確立したのでした。
訳者補足:医師としてドイツ兵の治療に当たったガルトゥングの父は、医師であるだけでなく、ノルウェー陸軍少尉、オスロ副市長であり、反ナチス地下運動の指導者でもありました。