PEACE STORIES

国境紛争を解決する安あがりな方法

1941年、ペルーとエクアドルの間で、アンデス山脈地域の帰属をめぐって紛争が勃発しました。翌1942年にブラジルのリオデジャネイロで講和条約が結ばれましたが、国境線について明確な合意ができませんでした。その後、両国はその地域を流れる川(アマゾン川上流)の流域を国境とすることに同意しましたが、降水量によって流域が変動したためうまくいきませんでした。川を国境にするという方法も試みましたが、川そのものが降水量とアンデス氷河の雪解け水の量で移動するので、やはりうまくいきませんでした。

条約が締結された1942年以後も、エクアドルとペルーは、500平方キロメートルの無人の土地をめぐって3回戦争しました。さらに次の大規模な戦争の危険が迫り、1995年には、ペルー空軍はエクアドルの首都キトを爆撃する作戦さえ立てていたのです。

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その1995年、ノルウェーのヨハン・ガルトゥング博士が中米グアテマラで開かれた平和会議に招かれ、エクアドルの元大統領と会談しました。ガルトゥングは、国境交渉の責任者である元大統領が語るペルー批判に辛抱強く耳を傾けました。

そんなときガルトゥングは、相手が話すことだけでなく、話さないことにも細心の注意を払います。すると、元大統領が、問題となっている土地について、隅から隅までどちらか一国が占有しなくてはならないとは言っていないことに気づきました。元大統領にとって、それはあまりにも当然すぎる原則だったので、あえて口にしなかったのです。国家の領土権と相互不可侵の原理は、1648年のウェストファリア条約で確立した国際政治の原則でもありました。

しかしガルトゥングはそこに目をつけ、国境の紛争地帯を両国で共同管理する自然公園にしてはどうか、と提案したのでした。平和になって観光客が訪れるようになれば、両国とも観光収入が得られます。元大統領の答えはこうでした。「これまで30年交渉してきたが、こんなクリエイティブな提案は聞いたことがない。だが、残念ながらクリエイティブすぎる。発想になじむまでに30年はかかるし、実現までにはさらにもう30年かかるだろう。現状を考えると、有効な案とは思えない」

そうは言いながらも、エクアドルの元大統領は、そのアイデアを和平交渉の場でペルーに提案しました。すると驚いたことに、ペルーは若干の修正を加えただけでそれを受け入れたのでした。細部の詰めが終わった1998年10月27日、ブラジリアで平和条約が調印されました。

こうして国境に共同管理地域が実現し、その後、自由貿易特区にも指定され、両国の経済交流にも望ましい効果がもたらされました。

ガルトゥングは、自分が行った調停活動にかかった費用は、エクアドルまでの乗り継ぎ航空券の250ドルとホテルの宿泊料、それに元大統領夫妻との夕食代だけだったと言います。それに比べると、イラクをクウェートから追い出すためにアメリカが行った1991年の湾岸戦争は、破壊による物的被害を別にしても、1,000億ドルものコストがかかりました。お金の節約以上に、武力衝突以前に紛争を平和的に解決できれば、多くの人が命を失わずにすむのです。

多くの国の政府は、他国とのあいだに対立があっても何もせず、いよいよ戦争となった時点で武力による解決を試みます。本当は、そうなるはるか前に平和的な解決をめざすべきだし、できることはたくさんあるのです。多くの政府がやっていることは、前を見てクルマを運転するのではなく、目をつぶって運転し、障害物にぶつかってから救急車を呼んでいるのと同じことです。

国連に、紛争調停のための常設機関を設け、数千人の規模で専門家を配することが必要です。そうすれば紛争の兆候を早期に発見し、戦争になる前に平和的に問題を解決することができるでしょう。戦争のコストを考えれば、平和のためのコストははるかに安あがりです。